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1Q84 [雑感]


敬称をどうするか一瞬考えた後、今回は”さんなし”に決定。
著名人の名前を
ブログではどう書くの?という問題はいつも考えてしまいます。

ブログの半分パブリックな部分と個人的な部分と、名前の持つ人格性と記号性。知り合い
でもないのに”さんづけ”すると厚かましくないか?でも呼び捨てってのも傲慢?何様かと。

等などといちいち考え始めるとまた記事が書けなくなるので、今回は考えるのをやめました。。。

以下、本題。


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新潮社のホームページを見たら村上春樹の新作長編の紹介ページがあった。

タイトルが「1Q84」。

タイトルからはどうしてもオーウェルの「1984」を連想してしまうし、以前からインタビュー等で「悪について書きたい」というコメントがあった事などから、9・11以降の監視社会・管理社会の恐怖みたいなものがテーマになっているのかしら、と考えてしまったのですが、どうなんでしょう。

その種のテーマという事では、伊坂幸太郎の「ゴールデンスランバー」をつい先日ようやく読んだばかり。ベストミステリーや本屋大賞などの受賞作という期待を裏切らぬ面白さがあって、「最近、面白い本がない。それは自分が惰性で読書してるせいではないか?」と思っている自分でも、本を読むという行為の本当の楽しさが久し振りに味わえたような気がします。

首相暗殺の濡れ衣を着せられた主人公の逃亡劇、という一見ベタ?な作品設定なんですが、実はそれはこの世界で現実に起こった事(ケネディ暗殺のオズワルド)だし、
罪を犯した代償としてならともかく、なにかよくわからないもの、あるいは社会の悪意によって、社会から自分の居場所を奪い取られていく恐怖というのは、自分がもし・・と考えるととても嫌な怖さを持って迫ってくる。

「ゴールデンスランバー」はそれをエンタメの形式で表現したものですが、村上春樹の世界観でそういったテーマを表現したらどういうものになるのか。是非読んでみたい気がします。


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村上作品の大きな魅力といえばやはり独特の文体(スタイル)がある。人がつい読みたくなってしまう文体を見つけて(訓練によって)自分のものにしたのだと、確か本人も語っていましたけど、なるほどなあと思う。

自分が小説を読み始める時に一番抵抗を感じる部分が作者の持つ、もしくは作品に使った文体であり、それに慣れるまでは作品世界に入っていく事ができないし、どうしても自分に合わなかった場合は、どんなに内容が優れていてもその作品が自分のものになる事はない。

そもそも人が書いた文章を読むという行為自体がある種の抵抗を伴っているわけであり、その点でまずその部分の摩擦を減らす事を考えた村上春樹という作家は、やっぱり新しい考え方の作家なのだと思う。


そのスタイルだけを真似する事は難しいわけではないし、個人ブログなどで「村上春樹風か?」と思われる文体もたまに見かけるのですが、文体を真似たら文章・内容が魅力的になるというわけではもちろんない。村上作品の魅力というのは
作者の持つ世界の見方とその解釈(さらには本人の人柄?)にあるわけなので・・・当たり前ですけど。

村上春樹さん(ここだけ”さんづけ”)は近年の作品では、人称(視点)を変化させたりしていますが、今回はどうなるんでしょ?


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先日見た時は確か”初夏刊行”とあって「初夏っていつだ?出来てるなら早く出せ!」と思っていましたが、現在は「5月下旬刊行」に変わってました。ああ、待ち遠しい。


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