3月20日
年を追うごとに涙腺がゆるくなっているというのに、ネットやテレビで、多くの人の献身的な行為や優しさを知りボロボロと涙を流したり、被災地や原発の危機的な状況を1週間(ほとんどの時間)ずっと見聞きし続けて、もしかして自分でも少し精神的に滅入っている部分があるのかなと思い始めてきた。
被災地以外に暮らす殆どの人が震災直後から「何かしてあげたい。でも今は何も出来ない。」という無力感を感じていたと思う。自分もそうだった。さらに、そこはとりあえず目の前の事を一生懸命やろう!という事で自分の仕事に専念している人が多いと思うのだけど、自分の場合働いていない事もあり、このタイミングで社会に参加していないことに対する空しさや社会からの疎外感を感じていたりもした。
※震災当日の”帰宅難民”の苦労話すら少しうらやましかったというか・・・失業中の方ならわかって貰えると思うが。
それから1週間。遺族の涙。被災者の辛さ。終わらない余震と原発の不安。政府の無策無能ぶり。一部?)マスコミ報道のひどさ。人の行為の素晴らしさ・・・。感情の揺れ幅の大きさに気持ちが麻痺してしまったのか次第にネットやニュースから目が離せなくなってしまって・・・。
今日の午前、部屋をふと見回してみると読みかけの本は散らかっているし、フローリングの床はホコリだらけだし、気が付くとまたiPadを手にしているし・・・なんだか生活が乱れ始めてるなあと気付いた。
まだまだ予断を許さない大変な状況だし、被災地や原発についての情報を得たり考えたりしていく事は必要だとは思うけど、まずは自分と自分の周りを普通にしている事がやっぱり大切なのだと改めて思っている。なんだか当たり前の事だけど。